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業界

ヘルスケア業界の未来 〜医療現場から見た医療 DX と AI〜 

2022 年度の診療報酬改定で「人工知能技術(AI)を用いた画像診断補助に対する加算(単純・コンピュータ断層撮影)」が保険適用され、厚生労働省の「保健医療分野 AI  開発加速コンソーシアム」で AI  開発促進のための工程表が策定されるなど、ヘルスケア業界では AI  技術の活用拡大への期待が膨らんでいます。

ただし、消化器系内視鏡分野や MRI  の補助診断装置などですでに AI  が活用されている一方で、データの主体や正確性の担保をどのように考えるのかといった課題も指摘されています。

これからのヘルスケア業界において AI  とデータはどのような役割を期待され、どのように活用されるべきなのでしょうか。日本マイクロソフト株式会社  Chief Security Officer  河野 省二が、ヘルスケア業界におけるデジタル変革のキーパーソンをお招きして「Data & AI」をテーマに実施した対談の模様をお届けします。

京都大学医学部附属病院の黒田 知宏 氏は、院内 IT の責任者であると同時に、電子カルテの自動化に関する研究に携わり、政府が進める次世代医療情報基盤法の認定事業者の理事を務めるなど、医療 DX に深い造詣をお持ちです。

黒田 知宏 氏(京都大学医学部附属病院 医療情報企画部 教授)

河野 省二 (日本マイクロソフト株式会社 Chief Security Officer)

長く院内 IT に携わり、医療 DX の第一人者として活躍

河野 まず、黒田先生が現在取り組まれているお仕事についてお聞かせいただいてもよろしいでしょうか?

黒田 所属している京都大学病院のなかでは、大学教授としての教育・研究のほかに、病院長補佐の立場で病院の電子カルテを含めた情報システム全体の設計管理の責任者として働いています。また CIO としてシステムから上がってきたデータをもとに病院経営に携わる役割も担っており、当然ながら情報セキュリティについても責任を負う立場でもあります。

学外のプロジェクトとしては、内閣府が立ち上げた「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)」に参加して、自動でカルテ作成を行える電子カルテの開発研究に取り組んでいます。これは、医療機器のデータや医療者の行動状況をすべて正しく自動で記録することで、インシデントの予測や人為的なミスの軽減など、電子カルテが医療者に寄り添うパートナーとなる世界を目指したプロジェクトです。

実は私は、最初から医療情報を志していたわけではないんです。専門分野は人間とコンピュータの関係性をどのように整えるか、いわゆるヒューマンインターフェイスで、博士号は手話工学で取得しました。病院情報システムをつくる人間の顧客となるのは、患者さんというよりは医師や看護師です。そういう意味では、今取り組んでいる電子カルテ医師や看護師がいかに快適に仕事をできるか、そのためのシステムを考える研究は自分の専門や興味に合致していると感じますね。

河野 この後の AI の話にもつながってくると思うのですが、ユーザーが何かを判断するために必要なデータを正確に収集して、さらにわかりやすく示すことはとても重要ですよね。

黒田 おっしゃる通りです。医療業界は特に、データに頼る傾向が顕著です。医療者は患者さんの顔を覚えていなくても、X 線の画像を見れば「あの患者さんか」と思い出すという話が笑い話のように話されることがありますが、実はそれは実態に近くて、医療者にとって、データは患者さんそのものと言っても過言ではないんです。

何かの拍子にある患者さんの体重を誤って入力してしまえば、薬の処方量に影響が出て、患者さんの健康を害しかねませんよね。だから私は 20 年来、データ入力プロセスの改善にエネルギーを注いできたんです。

医療 DX におけるデータの価値と次世代医療情報基盤について

河野 医療 DX を進めるにあたって、データの可搬性や標準化はホットなテーマだと思うのですが。

黒田 標準化については、完全なものはつくれないと思っています。私は、集中すべきはコンテンツ、中身そのものだと考えています。患者さんの情報を入力する際に、名前、体重、値といった形で必要とされる情報の組み合わせはある程度決まってきます。その組み合わせを変えないでデータを伝えられれば、いくらでも変換はできるはずなんです。それが、この標準でやらなければいけないとか、この標準では使いにくいといった議論に陥ってしまう。手段を目的化するのではなく、本質を見定めて議論をしなければ、当初考えていた世界とは異なる結果が生じてしまいかねません。

河野 データの有効利用という点でもう少しお話をお聞きしたいのですが、政府は次世代医療情報基盤法を定めて、医療情報の活用を進めようとしています。この動きについて先生はどのように評価されますか?

黒田 次世代医療情報基盤法の趣旨は、個々人の医療情報を匿名化して研究開発での活用を促進することですが、施行以来、活用された事例はわずか 20例強に止まっています。これも、手段の目的化が大きな要因だと考えています。制定の過程で、セキュリティリスクを過大に恐れるあまり、研究開発に必要な情報が取得できないなど、非常に使い勝手の悪い仕組みになってしまったのです。もちろん個人の医療情報は大切なものですが、これではなんのために法律を定めたのかわかりません。

この結果を受けて 2023 年に改正が行われ、より制約の少ない仮名加工医療情報の採用や、以前は利用できなかった公的データベースとの連結といった改善が行われました。一方、議論の流れを見ているとやはり手段と目的をはき違えがちなのが現状です。国には、目的を忘れずに政策設計に本気で取り組む姿勢を示してほしいと思います。

社会の生産性を高めるためには、手段と目的を履き違えないことが大切

河野 セキュリティの専門家としてこれを言うのはちょっとおかしいかもしれませんが、IT 基盤を構築するときにセキュリティに注力しすぎという議論があります。私は、もっと生産性に軸足を置いた議論になればいいのに、と常々思っているんです。

黒田 私もそうあるべきだと思います。社会全体の生産性を高めるためには、専門家に預けるべきなんです。次世代医療情報基盤法のそもそもの出発点も、専門家にデータを集めて管理してもらい、そこに責任を持ってもらう。責任を持つ能力があるかどうかは国が認定しますよと。だから医療機関の方もサービス提供する方も個人の方も情報を提供してください、それによって社会全体で情報の流通が始まります、というものですからね。それをわざわざ流通させにくく、扱いにくくしてしまうのは本末転倒です。

河野 IT は本来、人を楽にすることが目的ですからね。次世代医療情報基盤法の整備が進めば研究開発が進んで幸せになれる人が増えると思うので、私たちも期待しています。

情報基盤の有効活用にもつながる話ですが、これからは個人が PHR(Personal Health Record)データをいかに多く提供してくれるかが重要になると思うのですが、より多くの人が安心して PHR を提供できる仕組みも必要ですよね。

黒田 そうですね。ただ、「安心できないこと」はデータを提供しない理由にはなるけれど、「安心できること」は必ずしもデータを提供する理由にはならないと思っています。データを提供してもらうのであれば、提供者にどのような「利益」を提供できるかを考えなければいけません。

データの話になると、つい「データが集まれば新しい知見が得られて新しい技術が生まれて社会が豊かに…」といった二次的な利益の議論がなされがちです。それは間違いではないのですが、それではなかなか個人には響かないですよね。「データを提供すれば商品やポイントがもらえる」といった一次的な動機づけの方が重要だと思います。

IT は大きな力になる。大切なのは、なんのための技術なのかという意識

河野 ゲノム領域における IT の可能についてお話をお聞きしたいのですが、まずクラウドの活用という観点ではどのような評価をされていますか?

黒田 データ分析にはクラウドは大変価値があると思っています。まずクラウドは基本的に従量課金サービスですよね。大量のデータを扱うデータ分析の世界では、従量課金でないといくらお金があってもたりなくなってしまいますから、そこはとてもありがたいですね。

それから、柔軟性の高さも評価しています。いくつかあるクラウドプラットフォームのどこかにデータを置いておけば、CPU リソースやライセンス、分析エンジンなど必要なリソースを組み合わせて仕事ができる。これが私たちにとってのクラウドのメリットであり、クラウドの本来のありようでもあると思います。

河野 続いて AI についてもお話を聞かせていただければと思います。例えば、画像に関する質問に回答できる VQA(Visual Question Answering)という技術でも自然言語による会話機能が実装されています。こういった技術は医療分野では有用なのではないかと思うのですが。

黒田 確かに、その技術を使えば、看護師による体位転換や食事介助が行われた事実を画像から判断できるようになりますね。AI が画像を読んで「体位転換が行われた」とカルテに書き込んでくれるようになれば、電子カルテの運用はかなり変わるはずです。個人的には、新しい技術は片っ端から導入したいと思っています。

河野 あらぬクレームを受けて看護師さんが疲弊してしまうというお話も聞くので、仲介者としての AI という使い方もあると思うんです。事実が客観的に示されることで、医療者の緊張感を緩和できないかと。

黒田 そういった使い方も考えられますね。ですが本来は、自分を守るために記録を取らなければいけないというのは不幸なことだと思うんです。何度も恐縮ですが、記録を取ることが目的化してはいけません。そもそもなんのために診療記録を取得しているのかまで立ち返って考えることこそが、重要だと思います。

河野 最後に、私たち日本マイクロソフトへの評価や期待することがあればお聞かせください。

黒田 先ほどからお話をしてきたように、結局は手段と目的という話になるのだと思います。マイクロソフトさんは手段を提供されている会社でありながら、目的に一番近いところでお仕事されている印象があります。つまり、クラウドプラットフォームが整備され、そこでさまざまなツールを提供する会社が乱立するなかで、一番国民生活に近いツールを揃えていらっしゃる。これはマイクロソフトさんの強みだと思います。

この次のステップとして私が期待するのは、顧客サービスの先にある外商です。お持ちのさまざまなリソースを生かして、顧客のサービスを代理で行えるようなところまでいける可能性をお持ちだと思うので、そこを目指していただきたいと思います。

「ヘルスケア業界 Data & AI 対談 〜医療現場での AI 普及シナリオ〜」記事

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